「放送法」第4条に違反した番組を放送し続けるNHKの受信料支払を拒否し、NHKを解体し、本来あるべき公共放送を取り戻しましょう。
 NHK職員の平均年収1780万円。NHK会長、NHK経営委員会委員長の年間報酬は3192万円で、総理大臣より多い。国民の受信料が原資となっている(2013年3月現在)。親韓反日の広告代理店に支配され、近年朝鮮半島から渡日してきた外国籍の職員が入り込んでいる。その親韓ぶりは目をおおうばかりである。
 破廉恥、迎合、低俗ぶりも加速化している。もはや公共放送たりえない。
 「NHK受信料拒否」は、日本を再生させるために、日本の公共放送・日本のマスコミを立て直すために、常識ある普通の日本人ができる有効な手段なのです。NHK受信料拒否を表明している保守派政治家もいます。

2014年01月20日

海外メディアが称える小野田寛郎・元陸軍少尉

 coffeeさんのブログ記事「欧米で小野田さんに敬意と賞賛の報道・日テレはお笑いネタで侮辱・猛抗議の「明日、ママがいない」」を見て、1月17日放送の日テレ「ヒルナンデス」の件を知り、腹が立ちましたが、一方で、海外メディアが小野田さんに敬意と賞賛の報道をしていることも知りました。

 小野田さんは、よく「最後の日本兵」だとか、Soldierとか言われていますが、小野田さんは陸軍少尉なのですから、兵=Soldierとお呼びするのは抵抗感があります。小野田さんご自身は気にされていないように思いますが。

 小野田さんの訃報を聞いた時、涙があふれてしまいました。惜しい方が亡くなられました。

【英国】




【米国】
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140118-00000086-jij-n_ame
「戦前の美徳を体現」=小野田さん訃報、大きく掲載―米紙
時事通信 1月18日(土)16時16分配信

 【ワシントン時事】米紙ワシントン・ポスト(電子版)は17日、日本時間16日に死去した元陸軍少尉の小野田寛郎さんの評伝を大きく掲載し、フィリピン・ルバング島に戦中戦後の30年間潜伏してジャングル生活をした小野田さんについて「多くの日本人にとって忍耐、忠誠、犠牲といった戦前の美徳を体現する存在だった」と好意的に伝えた。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140119-00000068-san-soci
「日本人の誇り喚起」 米紙が小野田寛郎さん称賛
産経新聞 1月19日(日)7時55分配信

 【ニューヨーク=黒沢潤】米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)は17日、フィリピン・ルバング島で30年間潜伏任務を続け、16日に死去した元陸軍少尉の小野田寛郎さんの評伝を掲載した。

 評伝は小野田さんについて、「戦後の繁栄と物質主義の中で、日本人の多くが喪失していると感じていた誇りを喚起した」と指摘。「彼の孤独な苦境は、世界の多くの人々にとって意味のないものだったかもしれないが、日本人には義務と忍耐(の尊さ)について知らしめた」と強調した。

 小野田さんがフィリピンのマルコス大統領(当時)に1974年3月、投降の印として軍刀を手渡したとき、「多くの者にとっては格式のある、古いサムライのようだった」と形容した。

 また、小野田さんの出征前の日本は「紙と木からなる牧歌的な地」だったが、約30年を経て帰国した母国は、「高層ビルやテレビ、ジェット機などがある未来型の世界」へと変貌を遂げていたと指摘した。

 一方、米紙ワシントン・ポスト(電子版)も同日、「彼は戦争が引き起こした破壊的状況から、経済大国へと移行する国家にとって骨董(こっとう)のような存在になっていた忍耐、恭順、犠牲といった戦前の価値を体現した人物だった」と論評。多くの軍人は「処刑への恐怖」から潜伏生活を続けたが、小野田さんは任務に忠実であり続けたがゆえに「(多くの人々の)心を揺さぶった」とたたえた。


【ロシア】

http://japanese.ruvr.ru/2014_01_17/127435378/
「最後の日本兵」小野田氏がなぜロシアで感動を呼ぶのか
17.01.2014, 19:21


日本の敗戦後、フィリピンのルソン島で30年もパルチザンとして生活を続けた小野田寛郎(ひろお)さんが91歳で亡くなった。

「小野田さんはおそらく日本人兵士としては世界で一番名の知れた人物だっただろう。勇敢さ、兵士としての忍耐強さの手本だった。この人は百年たっても語り継がれるだろう。」

これは数年前、ロシア語のあるサイトに載せられた一文だ。

大体、ロシアでは小野田さんについては大きな新聞もふくめ、本当にいろんなところで書きたてられた。そしてそうした文章はほとんどいつも尊敬の念がこめられ、感激に満ちたものだった。また小野田さん以外の日本兵で東南アジアのジャングルのなかに何十年も潜み、司令官の命令を守り続けた人々に対しても同じようにソ連人は感動を表したものだった。

20世紀2度も日本と戦った経験を持つロシアがこれだけ感動したことも何も驚くことはない。兵士としての義務に忠誠を誓う姿勢は、ロシアではつねに最も重要度の高い美徳とされてきたもので、ロシア帝国でもソ連でも青少年に教え込もうとされてきたことだった。アジアのジャングルのなかで日本兵が相次いで見つかり、その人たちが、第2次大戦が終わったことを知らなかった、または信じようとしなかったことが、ソ連のプレスで紹介されると、多くのロシア人は1941年に書かれた『誠実な言葉』というソ連時代の有名な話を思い起こした。その話は単純なものだった。夜遅く、作者はペテルブルグの中心にある庭園で職員の小屋に小さな男の子を見つける。もう遅いのに、この子はどうしても家にかえろうとはしない。なぜならここで他の子たちと戦争ごっこをしていたときに、自分の持ち場を離れないということを誓ったからだ。ところが約束をさせた子どもらはさっさとそのことを忘れて家に帰ってしまった。この子だけは家に帰ることができない。それは約束をしたからだった。この話をきいたあと、作者は通りで少佐をみつけ、この子に持ち場を離れて、家に帰るよう命じてもらう。ソ連時代、この話は小学校低学年の児童の必須図書だった。おそらく誰もこの話に無関心ではいられなかっただろう。この話も、その後の小野田さんの話と同じだったからだ。

ここでロシアのサイトやブログに掲載された小野田さんの話への反響をご紹介しよう。

アレクサンドル・モイセーエフ:英雄の行為だ。

アンドレイ・クリロヴィチ:でも彼自身はこれを英雄的行為とはとらえていない。彼は言われた命令を遂行しつづけた。これは日本では当たり前のことだ。この経験から学ばねばならない。

アレクサンドル・ショルヴァエフ:インタビューの答えがよかった。「私は日本が強く、繁栄することを願って戦った。そして今ここに来て、やはり日本は本当に強く、繁栄した国だった。」ということは、彼の戦いは無駄ではなかったんだ。

エレンジェン・ジュカエフ:本当に強い人だ。ものすごく強い…。本当の意味で自分の祖国の正真正銘の兵士だったんだ。

アンドレイ・マスロフ:ほとんどロシアの兵士だよ。

アレクセイ・アソノフ:小野田さんのために東京都心で銅像をたてなければ。これこそ自分の国のまことの愛国者だ!

アレクサンドル・アレクサンドロヴィチ:まさに侍だ。

(上記コメントはhttp://vk.com/club1649025#/topic-1649025_2128788から引用)
 


posted by setsu at 23:20| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本の誇り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月17日

追悼 小野田寛郎・元陸軍少尉

 終戦後なお29年間、フィリピン・ルバング島で独り戦ってこられた小野田寛郎・元陸軍少尉が亡くなられました。91歳でした。

 フィリピンから日本に帰国した時の小野田少尉は、野生動物のような敏捷な身のこなし、鋭い眼光、まるで全身がアンテナのような周囲に対して常に感覚を研ぎ澄ませているお姿で、大変強烈な印象を受けました。

 当時の日本は、戦後29年を経過し、すでに高度成長期に入って、戦争の傷跡が忘れかけられていた時代だったのではないかと思いますが、そこに突如、帝国陸軍の将校が目の前に現れたので、びっくりしました。

 その後、穏やかなお顔になられました。

 しかし、戦後の日本に対して、ずっと心から憂えておられました。

 小野田さんが日本に帰国してからさらに40年ほどの時が経過し、日本はさらに平和ボケして、自国の歴史が捏造され、一方的に非難され、名誉を傷つけられるところまで行ってしまいました。

 祖国を守るために命懸けで戦ってこられた方が、また一人、この世を去られました。いま再びと、日本人が誇りと気概とやさしさを取り戻し、日本が尊敬される国になるよう、見守り続けていただきたいと思います。

 ご冥福をお祈りします。


帰国するまでの経緯


晩年の小野田さんの生の声。流石、小野田さん。


小野田さんの生涯。インタビュアーがいまひとつ。


小野田寛郎さん死去
1月17日 10時24分 K10045519011_1401171221_1401171228.mp4

太平洋戦争が終わったあともフィリピンのジャングルに潜み、戦後29年目に生還した元日本兵の小野田寛郎さんが、肺炎のため、16日、東京都内の病院で亡くなりました。
91歳でした。

小野田さんは和歌山県出身で、昭和19年に日本陸軍少尉としてフィリピンのルバング島に派遣されました。
翌年の終戦後も島にとどまり、30年近くジャングルに身を隠したあと、昭和49年に発見されて日本に帰国しました。
帰国後、ブラジルに移り住んで牧場を経営し、平成元年からは福島県に設けた野外活動の施設で青少年の育成に力を入れてきました。
平成8年には、22年ぶりにルバング島を訪れ、地元の子どもたちの奨学金として資金を寄付しました。
関係者によりますと、小野田さんは去年暮れに体調を崩し、今月6日から東京都内の病院に入院していたということです。

帰ってこられ“戦争終わった”

菅官房長官は閣議のあとの記者会見で、「小野田さんが終戦後、長年にわたってジャングルで生活され、帰ってこられたとき、『戦争が終わったんだな』と個人的に感じたことが非常に鮮明に残っている。ジャングルの中で生活した強じんな意志を持ち、そのあとも開拓の精神で頑張ってこられた。心からご冥福をお祈り申しあげたい」と述べました。
posted by setsu at 23:24| 東京 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 日本の誇り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月07日

映画「永遠の0」を観てきたが。。。

 いま話題の映画「永遠の0」を観てきました。零戦の戦闘シーンや空母「赤城」の飛行甲板の様子がリアルに再現されていて、まるでその場にいるような感じがして、その点はよかったのですが、主人公の設定に関して疑問符が頭にこびりついて、どうも入り込めませんでした。

 主人公は天才的な操縦技術を持ちながら、妻子のために生還することに執着して、「臆病者」と言われていたという設定ですが、零戦操縦員といえば、当時のトップエリートで、誇り高き帝国海軍軍人です。

 彼らの家族を愛する気持ちは現代人に決して劣ることはなかったと思いますが、それと同時に、祖国を守るために命を懸けて戦う気概、欧米に決して負けないという圧倒的な優越感、負けてたまるかという強い気持ちを持していたはずです。

 開戦当初から活躍されている熟練零戦操縦員は、志願して零戦を駆って戦っていた方々です。

 彼らとて妻子のもとに生還したいという思いはお持ちだったと思いますが、だからといって生還することに執着していたという設定は、無理があるように感じました。

 実在の零戦操縦員の方のお話では、「他の皆が死んでも俺は帰ってくる!」という強い思いをもっている人が生還してくるとのことでした(『零戦 老兵の回想』原田要著)。しかしそれは戦場から離脱して生き延びたのではなく、死闘をくぐり抜けて生還されたのです。生還するために、戦場からすぐに離脱(逃走)するような気持ちでは逆にすぐにやられてしまうのではないかと思うのです。

 戦後の価値観から創作された人物像に思えてなりませんでした。

 当時の零戦操縦員の想いはどのようなものだったのでしょうか?

 フィクションではなく、実在の人物を通して、零戦操縦員を理解する必要があるのでは?と思いました。



posted by setsu at 00:51| 東京 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 日本の誇り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。