「放送法」第4条に違反した番組を放送し続けるNHKの受信料支払を拒否し、NHKを解体し、本来あるべき公共放送を取り戻しましょう。
 NHK職員の平均年収1780万円。NHK会長、NHK経営委員会委員長の年間報酬は3192万円で、総理大臣より多い。国民の受信料が原資となっている(2013年3月現在)。親韓反日の広告代理店に支配され、近年朝鮮半島から渡日してきた外国籍の職員が入り込んでいる。その親韓ぶりは目をおおうばかりである。
 破廉恥、迎合、低俗ぶりも加速化している。もはや公共放送たりえない。
 「NHK受信料拒否」は、日本を再生させるために、日本の公共放送・日本のマスコミを立て直すために、常識ある普通の日本人ができる有効な手段なのです。NHK受信料拒否を表明している保守派政治家もいます。

2015年08月01日

2015年8月15日フジテレビ「私たちに戦争を教えてください」(零戦パイロット 原田要氏)

 2015年8月15日にフジテレビが「私たちに戦争を教えてください」という終戦70周年を記念したドキュメンタリーを放映するそうです。フジテレビか。。。と思いながらも、小栗旬がインタビューしたあの零戦パイロット・原田要氏のお話はぜひとも伺いたいと思っています。

 ハワイに行った時、まず訪れたのが真珠湾でした。長年想い続けてきた真珠湾。ようやく訪問しました。訪れた時は感慨深かったです。

フジテレビ「私たちに戦争を教えてください」
小栗旬が、真珠湾攻撃に参加した元ゼロ戦「天才」パイロット、原田要さんと、パールハーバーで攻撃を受け沈められた米海軍戦艦アリゾナの元乗組員などに話を聞く。
小栗は原田さんの取材を終え
「戦争が人にいったい何を与えるのか? 想像はできても実態として体験していないものなので理解することができない。
あの真珠湾攻撃を実際に体験した方から直接お話を聞くことができ、本当に貴重な体験をさせていただいたと思います。
ぼくたちは戦争というものを体験したくはないし、世界からも争いがなくなってほしいと強く強く思う」
と語った。


2013年11月17日
映画「永遠の0(ゼロ)」を観る前に、ぜひ読んでもらいたい本


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2015年03月11日

天皇陛下「震災の教訓伝え安全な国土を」

 天皇陛下は、皇后陛下と共に東日本大震災の犠牲者の追悼式にご出席され、震災の犠牲者と遺族に深い哀悼の意を表され、「被災地に一日も早く安らかな日々の戻ることを一同と共に願い、御霊への追悼のことばといたします。」とのお言葉で締めくくられました。

  NHKが、陛下に対して敬語を使い、陛下のお言葉を全文紹介しているのは、いいことです。

【NHK】天皇陛下「震災の教訓伝え安全な国土を」
3月11日 15時34分

天皇陛下は、皇后さまと共に東日本大震災の犠牲者の追悼式に出席し、震災の教訓を子孫に伝えより安全な国土を築く努力を続けることが重要だという思いを述べられました。
追悼式では、地震が発生した午後2時46分に黙とうが行われたあと、天皇陛下がおことばを述べられました。
天皇陛下は、冒頭、震災の犠牲者と遺族に深い哀悼の意を表されました。
続いて、「この4年間、被災地においては、人々が厳しい状況のなか、お互いの絆を大切にしつつ、幾多の困難を乗り越え、復興に向けて努力を続けてきました」と述べたうえで、「依然として被災した人々を取り巻く状況は厳しく、これからも国民皆が心を一つにして寄り添っていくことが大切と思います」と話されました。
また、震災を通じ、日頃の避難訓練と津波防災教育の大切さを学んだとして、「こうした教訓を決して忘れることなく子孫に伝え、より安全な国土を築くべく努力を続けることが重要であると思います」と述べられました。
そして、今月14日から仙台市で開かれる国連防災世界会議について、「わが国のみならず世界各国においてもこのたびの大震災の教訓が分かち合われ、被害の軽減や人々の安全性の確保に意義ある成果が上げられることを願っています」と話されました。

天皇陛下のおことば(全文)
東日本大震災から4年がたちました。ここに一同と共に震災によって亡くなった人々とその遺族に対し、深く哀悼の意を表します。
4年前の今日、東日本を襲った巨大地震とそれに伴う津波により、2万人を超す死者、行方不明者が生じました。テレビに映った津波の映像は決して忘れることのできない、本当に恐ろしいものでした。死者、行方不明者の中には、危険を顧みず、人々の救助や防災活動に従事した人々があったことが今も痛ましく思い出されます。被災地で、また避難先で、被災者の多くが今日もなお、困難な暮らしを続けています。特に年々高齢化していく被災者の健康は深く心に掛かります。
さらに、この震災により、原子力発電所の事故が発生し、放射能汚染地域の立ち入りが制限されているため、多くの人々が住み慣れた地域から離れることを余儀なくされました。
今なお、みずからの家に帰還する見通しが立っていない人々が多いことを思うと心が痛みます。
この4年間、被災地においては、人々が厳しい状況のなか、お互いの絆を大切にしつつ、幾多の困難を乗り越え、復興に向けて努力を続けてきました。また、こうした努力を支援するため、国内外の人々が引き続きいろいろな形で尽力しています。この結果、地場産業の発展、防災施設の整備、安全な居住地域の造成など、さまざまな進展が見られましたが、依然として被災した人々を取り巻く状況は厳しく、これからも国民皆が心を一つにして寄り添っていくことが大切と思います。
このたびの大震災においては、私どもは災害に関し、日頃の避難訓練と津波防災教育がいかに大切かを学びました。こうした教訓を決して忘れることなく子孫に伝え、より安全な国土を築くべく努力を続けることが重要であると思います。
この14日から宮城県仙台市において第3回国連防災世界会議が開催されますが、この会議において、わが国のみならず世界各国においてもこのたびの大震災の教訓が分かち合われ、被害の軽減や人々の安全性の確保に意義ある成果が上げられることを願っています。
被災地に一日も早く安らかな日々の戻ることを一同と共に願い、御霊への追悼のことばといたします。
posted by setsu at 20:52| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本の誇り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月04日

『アメリカ人の本音』(マックス・フォン・シュラー著)

 「慰安婦」の記念碑を建てる決議を出した米国グレンデール市議会宛に、日本在住アメリカ人歴史家Max von Schuler-Kobayashi氏が、抗議の手紙を送りました。

2013年06月23日
NHKが決して報道しない「従軍慰安婦」の真実 日本在住アメリカ人歴史家の反論


 Max von Schuler-Kobayashi氏の日本に対する真摯な姿勢に感動した覚えがありますが、昨年、『アメリカ人の本音』という本を出版されたそうです。

 日本人は、敗戦のためか、白人コンプレックスがあると思いますが、この本を読むと、日本人として、東洋人として、堂々と白人と向かい合っていこうと思うようになります。


 出版社のツイッターによると、「フランス系アメリカ人で著名なカメラマンでありジャーナリストのマイケル・ヨン氏が、桜の花出版の『アメリカ人の本音』(マックス・フォン・シュラー著)を自らのフェースブックで「とてもいいですね」と紹介!」とのこと。日本語・英語併記なので、海外の人にも読まれているようです!

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 Max von Schuler-Kobayashi氏が来日した当時の日本の指導者層はすでに、帝国陸海軍の経験のない人だったそうですが、50歳以上の男の人は帝国陸海軍の経験者で、自信がある人達だったとのことです。国を守るために命懸けで戦われた方々は違います。

 「昭和一桁生まれは次々と動けなくなっているのに、大正生まれの人はいまでも元気に畑に出て働きに行っている。」という話を私も身近な人から聞いたばかりです。

 映画も、戦争を経験された方がたが俳優をされていた時代は、深みや渋みがあって、味わい深かったですね。

<本文より、一部抜粋>
私は1974年に日本に来ました。大東亜戦争の終戦から29年後でした。それで、基本的に50歳以上の男の人は帝国陸海軍の経験者で、自信がある人達でした。軍隊と戦場での経験がその自信を与えていました。しかし、ぎりぎり軍隊に入らなかった人もいました。

私がはじめて日本に来た時の、その帝国軍の経験のない人とは30代40代でした。現在、日本の指導者達の世代です。その頃、この世代はアメリカを崇拝していました。彼らには、アメリカは神の国でした。

彼らはただ英会話をするために、たくさんのお金を払いました。アメリカ人でしたら、セックスをする女性を簡単に見つけることができました。しかし私の場合、このようなことに違和感を感じました。私の出身はアメリカ・ウイスコンシン州の田舎でした。その辺りに住んでいる人たちはあまり教育がなくて、良い仕事のチャンスはありませんでした。住んでいて憂鬱なところでした。

そんな私が初めて日本に来たとき、まるで不思議の国でした。そこは清潔でしたし、人々は丁寧で、一生懸命働いていました。私は最初、山口県岩国市にいましたが、そこは日本の都会ではなく、地方だということは知っていました。しかし、地方でも、住んでいる人々の教育レベルは高いものでした。私よりアメリカの歴史の知識がありました。

どうして日本人がこんなにアメリカを崇拝したのでしょうか。やはり戦後の「ギブミーチョコレート」時代は、ひとつの原因でしょう。終戦直後に育った日本人はとても貧しかった。チョコレートのためにアメリカ兵とセックスをする女性もいました。
 
戦後の時代が終わっても、日本人はアメリカの映画を観て、それが普通のアメリカ人の生活だと考えています。まあ映画は空想の世界ですが、私はアメリカで映画のような生活ではありませんでした。

私が初めて日本に来たときに、数多くの日本人がアメリカを崇拝していました。私は自分の周りの日本人に、ほとんどのアメリカの生活は、そんなに立派ではないという真実を伝えました。当時の生活の質をを比較すると、日本人の生活の方が、アメリカ人よりも全然良いと言いました。

日本人は私の言うことを信じませんでした。おかげで、あまりガールフレンドができませんでした。デートをしても、いつもその女性から「結婚して、アメリカで生活をする」という話が始まり、その関係が終わりました。

私は日本を愛していました。そのデートをしている女性に、私の日本帝国陸海軍の勉強、それから靖国神社を参拝することを教えると、その女性は私のことを頭がおかしい人だと思いました。


ねづさんのブログから転記させていただきました。
元米海兵隊員の『アメリカ人の本音』紹介
posted by setsu at 15:46| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本の誇り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする